離婚体験談10

離婚の理由と原因 相手の不貞行為。相手親族との人間関係が悪化。
子どもの有無 離婚当時、4歳の息子
アドバイス 我慢できるのであれば、子ども本位で考えて離婚の選択が適切か慎重に考えてください。

このページでご紹介する離婚体験談は、24歳の男性によるお話です。男性の視点に立って読み進めてください。

私は25歳男性です。現在5歳になる息子がいます。年収は650万です。

離婚をしたのは24歳のときで、そのときの元妻は専業主婦でした。

はじめに

私たちは20歳のときにいわゆるできちゃった婚で、妊娠を機に結婚しました。当時は付き合って1年くらいで、子供ができたときは不安もありましたが頭の中では幸せでいっぱいでした。

「名前は何にしよう。男の子が女の子か。どんな子になるだろう。どっちに似ているだろう。」など他愛もない話しをたくさんして毎日とても幸せでした。

些細な口喧嘩

子供が生まれ、幸せな日々が続きました。ずっとこんな日々が続くと思ってました。ただ赤ちゃんの世話はとても大変で元嫁もストレスがかなり溜まっており、私も仕事のストレスなどでお互いがイライラする毎日でした。

他愛のないことでの言い合いも段々と増えていき、最初のころのラブラブな感じとは程遠い感じになってしまいました。

大喧嘩するときは元嫁は大泣きし、その泣き声で私も苛立ち、物に八つ当たりするという、マイナスのスパイラルに落ちていってしまいました。このころから少しだけお互いにの心が離れいってしまった気がします。

元嫁の母との付き合い

とは言えなんだかんだ、お互いに我慢することで乗り切ることができました。そして子供も少し大きくなり、落ち着いてきたかなという頃でした。

元嫁の母は大変信仰深く、それに毎週付き合わされるようになりました。付き合わされるくらいなら良かったのですが、相当入れ込んでいたため、 毎週数万円のお布施などを強要されるようになり、痛い出費をさせられました。

せめて私だけでも辞めたかったので、それを元嫁の母親に話すと「子供が元気に育ってほしいと思わないの?」とかなり激怒されました。

渋々毎週義母に付き合いましたが、今度は私の親族も巻き込む勢いになってしまい、さすが受け入れることはできずに断りました。

この頃から、元嫁親族を心底嫌になるようになってしまったのです。何かしらの理由をつけ元嫁の実家に近づくのを避けていました。

そして浮気発覚

私は参加しなくなりましたが、元嫁は継続し参加していました。ある時、ボランティア活動が地方であるから泊まりで行ってくると、言われました。特に怪しむこともなくその時は了承しました。

そのボランティア活動から帰ってくると、より参加する頻度が増えて、最初は親もハマるなら子もハマるか程度にしか思っていなかった矢先、虫の知らせなのか、魔が差したのかわかりませんが元嫁の携帯を覗いてしまったのです。

完全に浮気を確信させるような文章がそこにはあり、この時は完全に浮気だと断定しました。そしてボランティア活動と偽り、実はその浮気相手との浮気旅行だったのです。

そのときの口では言いがたい写真が残されていて、気がどうにかなりそうでした。

離婚を決意

不貞行為を問いただすと、元嫁はすぐに出て行きました。話し合いは家庭裁判所の調停を申し立てましたが、何故か私が浮気をしたかのようなことを調停で発言し、もう呆れはてる他ありませんでした。

弁護士を入れるなども考えましたが、なんとか最後は2人での話し合いで解決する方向になりました。元嫁は息子の親権だけを要求して、他には何もいらないと言ってきました。

私はもちろん親権を譲ることを断り、財産分与もなし、無一文の状態で実家へ帰らせました。

離婚してその後

もちろん、離婚をして気が楽になりましたし、不本意な付き合いもなくなりかなりホッとしました。ただ息子のことを考えると母親が居ないのは可哀想なのかなと思います。

もし再婚しても自分の子じゃない子を愛してくれるのかなど考えると、再婚なんて考えられません。しかし食生活は手料理がなくなりコンビニのお弁当などで済ますことが増えてしまいました。

パパは料理作れなくてごめんねと言うと「大丈夫!」と言われるのが少し辛く感じます。

離婚を考えてる方へ

離婚は親の勝手な都合です。どれだけ理由を並べても離婚は子供にとって良いことではありません。私は今でもあのとき浮気を許して一緒にいるべきだったのではないかと悩む日もあります。

思いとどまれるなら、我慢できる範囲であるなら、どうかお子さんのためにも離婚をしないであげてください。私は少々後悔しております。

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離婚体験談9

離婚の理由と原因 夫のギャンブル、借金。
子どもの有無 3人
アドバイス 親権・養育費・慰謝料・財産分与については細部までしっかりと協議しましょう。

離婚を決めた時は私は40代でした。4つ上の同じ40代の夫と、高校生の娘、中学生と小学生の息子の5人家族でした。

私は下の子が小学校入学式と同時にパートで働き出し、夫は公務員でした。年収は2人合計で400万円程でした。

「夫の浪費癖」

夫は公務員でとても真面目に働く人でした。

しかし、お金の面ではルーズでそれまでも、家族旅行の為に貯めていたお金を使ってしまってケンカをしたことが多々ありました。

夫が転勤で単身赴任をした時からお金の管理はさせて貰えず、月々の生活費を渡されてその中で生活するようやりくりしていました。どうして生活費だけしか私にくれないのだろうと悩みました。

子どもの事でお金がかかる事があっても、生活費しかもらってないので私の少ないパートの給料をやりくりして払うしかありませんでした。夫は生活費や引き落としのお金以外を何に使っているのだろう?と不思議でなりませんでした。

そんな時、風のうわさで仕事に出かけたはずの夫がパチンコ屋にいると聞きました。このことがキッカケで私が不思議におもっていたことががつながったのでした。

夫に問いただすと、闇金で借金までしているとの事でした。これ以上この人といると子どもまでもがダメになってしまうと思い離婚を決意しました。

「離婚を嫌がる夫」

意を決して、夫に離婚の話しを切り出しました。

すると、離婚だけはしたくない、自分を見捨てないで欲しいと泣き出しました。私なりに考えて、子どもを守る為にはこうするのが一番良いと話しても聞いてくれません。

話し合いは平行線でした。別れるくらいなら自分は生きていけないとまで言いだしてとても困りました。

「説得を続けて一応決着」

それでも毎日話をして、親権は3人共私がもらうが養育費はいらない。慰謝料もいらない。その代わり、借金は自分で何とかしてもらい私達は一切関わらない。

という内容で一応決着しました。離婚協議書に親権・養育費・慰謝料・財産分与(借金も財産とのことでした)についての取り決めを書いてお互いに確認をしました。

「子どもを守れる方法」

離婚協議書の取り決めた親権・養育費・慰謝料・財産分与についての内容は、私の母に相談をしました。

子どもを守るにはどうしたら良いかを一緒に考えてくれました。

経済面では、母にも蓄えがあるので助けてくれるから、養育費は諦めて、キッパリと縁を切ってしまった方が良いとアドバイスをもらいました。

「役場で相談」

離婚が決まり、とりあえず役場に行って離婚をするにはどのような手続きをしたら良いか聞きました。

夫と争う内容もないし、これからの事を考えてお金を使いたく無かったので、仕事の合間に全て自分で手続きすることにしました。

離婚するにも、離婚届を出すだけではなく、親権だったり姓の事だったり母子家庭の手続きだったりと、様々な手続きが必要でした。

何も分からないので聞きながら一つ一つ手続きをふんでいきました。

パートの休憩時間なども使って行ったので、毎日クタクタでした。

しかし自分で行なったため費用はほとんどかからずにできたので、これからの事を考えると、経済的な面だけではなく、自分ですべてやり遂げたことは大変プラスになったと思います。

「子どもと平和な暮らし」

無事夫との離婚が成立し、借金の担保に入れられていた住んでいた家も、実の母と妹がお金を貸してくれて買い戻せ、子ども達との平和な暮らしが始まりました。

子ども達を借金の取り立てに巻き込まないように神経をつかうこともなくなり、貧乏ですが自分の家で子ども達と暮らせることに幸せを感じました。

しかし、やはり私の稼ぎだけでは今までのような生活はできませんでした。年齢もあって正規職員になるのは難しく、やっと見つけた職でも嘱託職員どまりでした。

固定給なので安定はしていますが少ない額なので、自分の貯金を切り崩してなんとか生活していました。それでも臨時でお金がいる時は母に頼るしかなく、申し訳なさでいっぱいでした。

子ども達にも沢山我慢させてしまったと思います。

「覚悟ができたら決断を」

離婚は生半可な気持ちでは出来ないと思いました。特に子どもがいる夫婦では、自分たちだけの問題ではありません。

でも、子どもに害が出てしまうのなら、親である自分がどんなに苦労しようとも覚悟を決めて離婚という選択をできると思います。

今は母子家庭への支援も充実してきています。子どもを、そして自分を大切にできる選択をしてください。

そして離活する余裕があるかたは、離活をして離婚の現実をしっかりと認識するといいと思います。

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離婚体験談8

シングルマザーにとって、養育費は子どもと生活していく上でとても大切な収入源です。

しかし、残念ながら「離婚するとき養育費の取り決めをしたのに、支払われたのは最初の数ヶ月だけ」という話をよく聞きます。

かくいう私もその一人でした。離婚協議書は作成したものの、公正証書にはしなかったため、いざ養育費が滞納したときにとても苦労しました。

養育費の支払いを元夫に求めても音信不通。連絡が取れても「余裕がない」の一点張り。

弁護士に相談し、『公正証書で強制執行できる』『公正証書は離婚後でも作成できる』ことを知ったのは、恥ずかしながら離婚をして15年後のことでした。

公正証書が無いと強制執行までの道のりが長い

公正証書の作成には時間とお金が掛かるものの、いざ養育費の支払いが滞納したとき、裁判を起こすことなく強制執行できる大きな強みがあります。

私は離婚する際、離婚協議書と公正証書の効力の差を理解できていなかったため、離婚協議書は作成したものの、公正証書にすることまではしていませんでした。

その為、いざ養育費の支払いが滞った時、直接元夫に催促すること以外何もできませんでした。離婚成立後に養育費に関する公正証書を作成することはできないと思っていたからです。

仮に元夫が養育費の支払い滞納し始めた当時、私にもう少し知識があったとしても、養育費の支払いを受けるまでには長い時間と大きな負担が掛かったと思います。

公正証書が無い場合、相手に強制的に養育費を支払わせるためには家庭裁判所へ養育費請求調停の申し立てをします。

この申し立ては相手の居住地を管轄する家庭裁判所にします。よって、相手の居住地が遠方の場合、申し立てに行くこともその後の調停に出席することも大変な労力になります。

また、調停は調停委員が立ち会って双方の事情や資料を確認しながら解決案を提示・提案しつつ合意を目指すものなので、場合によっては長い時間が掛かるでしょう。

だからこそ公正証書作成は重要であり、公正証書の無い養育費支払い請求はとても大変なことなのです。

弁護士に相談してから養育費支払い合意に至るまで

一度は諦めた養育費でしたが、子どもの未来の為、離婚から15年後私は弁護士に相談へ行きました。

まず弁護士からアドバイスされたことは、配達証明付き内容証明郵便で養育費支払いの催促をすることでした。

それと並行し、家庭裁判所へ養育費請求調停の申し立てをするようアドバイスされました。

弁護士に相談して初めて知ったのですが、養育費支払いの時効は原則5年。

調停で双方が合意をしても、養育費支払いは合意した時点から発生となるケースが多い為、少しでも早く元夫に養育費支払いをする意思があるか否か確認するように促されました。

もう一点、万が一調停が開かれる前に元夫から養育費支払いの意思表示があれば、その時には必ず公正証書を作成するようにともアドバイスを受けました。

弁護士のアドバイスを受けて動いた結果、元夫から「今後養育費は必ず支払うので調停はやめてほしい」との連絡を受けました。

私は調停取り下げの条件として公正証書の作成を提示し、元夫から今後の養育費とそれ以外にこれまでの養育費滞納分(二年分ではありますが)を一括で支払う同意も取り付けました。

法律のことは法律の専門家に相談

今回弁護士に相談し、いかに私が勉強不足だったか、たとえどんなに私が勉強していたとしてもこのような満足いく形での決着はできなかっただろうと痛感しました。

今はネットで検索すれば、多くの情報が入手できます。しかしすべての情報が事実とは言えないでしょう。だからこそ今後私が法律の絡む問題を抱えたときにはまず最初に法律の専門家に相談すると思います。

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離婚体験談7

離婚の理由と原因 夫の過度な飲酒とそれに伴うDV(ドメスティックバイオレンス)。
子どもの有無 離婚当時は1才と2才
アドバイス 親権で揉めましたが、最終的には二人の子どもの親権を取得。諦めないことが大切。

現在44歳、18歳娘と17歳息子のいるシングルマザーです。

若い頃から仕事優先なタイプなので、専業主婦をした期間もあまりなく、仕事と育児・家事を両立しておりましたが、子供達も大きくなり、今では私を支えてくれる大きな存在となっています。

元夫との出会いは私25歳、彼28歳のときでした。お互い結婚適齢期でもあり、結婚前提でお付き合いしてましたが、彼の酒癖の悪さ、仕事意識の食い違いなどがあり、別れを考えていました。

その矢先に、妊娠が発覚。彼はとても喜びましたが、私は複雑でした。

彼は男ばかりの5名兄弟の長男。同じ時期に、彼の弟2人の彼女も妊娠が発覚しました。彼の弟2人の彼女は、彼のお義母さんとも仲良くしていると聞いてましたが、私はまだ彼のご両親に会ってさえいませんでした。

私は新しく芽生えた命の誕生を喜びながら、一方では彼との別れを望んでいたので、ご両親に会うのがとても嫌でした。

ご両親に会うという日は、時間ぎりぎりまで駄々をこねたのを今でも覚えています。

暴力に耐えきれず

嫌々ながらも、子供には父親が必要だからを思い直して、結婚を決意。一般的には、できちゃった婚になるわけですが、一緒に住んでも納得のいかない結婚でした。

彼はバカがつくほど野球好き。その当時4つの草野球チームに所属しており、仕事を休んででも試合に行くほどでした。その試合が終わると酒浸り。結婚したことを何度も後悔しました。

しかし第一子が生まれた時には本当に感動的でした。そして初めて出産から1年3か月後に、第2子の妊娠が発覚しました。子供のことは、とても可愛がってくれましたが、それでも彼の生活は、全く変わることなく、野球中心の生活でした。

私たち夫婦は共働きでしたが、第2子の妊娠発覚とともに、生活も厳しくなりましたが、彼は相変わらずの生活。

第2子誕生後は、私が昼と夜働くというスタイルになったため、さらに喧嘩も増え、酒に酔った彼が、暴力をふるうようになりました。これが離婚を決意した最大の理由です。

友人の意見が最大の後押しでした

いいのか悪いのか、私の友人の3名は、元夫の友人と結婚しています。その友人たちに、いろいろ相談し、元夫の第三者からの意見を、色々と聞いてました。

元夫は友人達からも、いい評判はあまりなく、離婚されてもしょうがないよなというような声を多く聞きました。その声が離婚への後押しをしてくれました。

仕事意識の大きな違いからも

離婚を決意したときの状況は、30歳の夫、1歳と2歳の子供が二人おり、夫は配送業、年収は180万、私は広告業の営業をしており、年収240万ほどでした。

親権については、私が娘を引き取り、息子は長男の長男ということで、泣く泣く元夫に引き渡すことになりました。子供の養育費については毎月5万、20歳まで払い続けるということで合意し、協議離婚しました。

日本中で長男の存在意識の強い沖縄では、長男の長男は、男側の主張が尊重されます。本心として子供二人の親権を取りたかったのですが、どうしてもそこは折り合いがつきませんでした。

そのため離婚の条件など養育費、親権のことを書面で残し、長男を元夫に引き渡すことで合意したのです。

 

相手の親を味方につけました

離婚の手続きに関しては、元夫の両親にも相談し、協議離婚ということで進めることができました。私と元夫で離婚届に記入し、市役所の窓口に提出しました。

協議離婚ということで、特に困った点などはありませんでしたが、親権については、離婚届を出すまでもめたことを覚えています。

残した息子だけが気がかり

離婚して、晴れてシングルマザーになった私ですが、その後は実家に戻り、娘と二人再スタートをきりました。

息子のいない生活のスタートではありましたが、娘と息子は同じ保育園に通園していたため、娘のお迎えの時には息子にも会えましたことはとても救いになりました。

また離婚してからは、実家の支援もあり、仕事に集中することもできました。それにより娘の保育料、私と娘の生活費も確保でき、また何より、暴力にさらされないでいいということ、女中にならないでいいということの安心感がありました。

生活の基盤が安定していく反面、息子のことは気がかりで仕方ありませんでした。そんなある時、元夫が転職し、息子の面倒を見れなくなったと連絡がありました。

それは息子が3歳になった時です。その連絡を機に、私は息子を引き取り、母、娘、息子と、親子3人揃って、私の望んだ生活が本当にスタートしたのです。

再就職の厳しさ

子供二人を女手一つで育てるのは、たくさんの苦労がありました。広告業の営業は仕事の時間も給与額も不安定。

安定した職を探すために退職したのですが、小さい子供のいるシングルマザーということで、面接した企業にも、ことごとく断られました。

その数断れること30社あまり。シングルマザーの就職は、かなりのリスクがあると感じました。

やっと就職が決まったのが、IT関連の営業のお仕事。これも、たまたまシングルマザーに理解のある会社だったので、採用してもらえたという感じです。

これほどまでに、シングルマザーの就職は難しいと思ったことはありません。また子供を育てるために、自分だけの収入、児童扶養手当だけでは少ないくらいで、実家にずっと世話になって、どうにか生活ができるという感じでした。

やっぱり離婚は結婚に勝る大きな問題

お互いの価値観、子供の教育に関することなど、夫婦で意見の食い違いは、数多くあると思います、ですが、暴力や生活費をいれないなどという根本的な理由以外で、離婚を考えるのであれば、なぜ結婚を決意したのかを考えていただきたいと思います。

私の場合、酒に酔って暴力をふるわれたという一緒に生活するには、とても困難な理由がありました。

このような根本に結婚生活を継続させることが困難な理由以外で、離婚をお考えの方には、子供の将来や今後の生活も踏まえて、もう一度考え直してほしいと思います。

仕事や経済面の自立がでてきていて、離婚により子供とご自身の将来がよくなる見通しがあるようでしたら、離婚されてもメリットがあると思います。

私の離婚体験から考えると、将来への見通しが立っていないようでしたら、もう少しタイミングを見計らうのもいいかと思います。

もしご主人が、話し合いのできる方であれば、ご自身のこと、お子さんのことも踏まえ、話し合うべきだと思います。

そこから家族の絆が一層深まり結婚生活をやり直せるご家庭が増え、少しでも離婚されて苦労される方減ることを望んでやみません。

やり直しがきくご家庭で、特に子供がいる場合には、お父さん、お母さんがいるということが、一番の家族の在り方だと私は思うからです。

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離婚体験談6

離婚の理由と原因 相手の父親のお金の使い込み。借金。
子どもの有無 3人
アドバイス 親権問題は、将来の子どもの生活までを想定して、簡単に譲ってはならない。

離婚を決断したのは40代でした。

夫は自営業の2代目で、引退した初代と義理の母が同居し私の子供は小学生が3人です。

暫くは7人家族で楽しい暮らしが続いていました。

義父の不可解な行動

夫の実家は食品店を経営していました。

2代目の夫はお店でお客さんの接客をし時間が空くと、お惣菜を持って外へ売りに行くという営業を行なっていました。

ある日、私がパートから戻ってくると初代父が玄関先で立って待っていました。「今日、給料日だろ、金くれ」と言うのです。

何か必要なのかもしれないと思い、お金を渡しましたが、夫に聞くとそのお金が何の金か分からないようでした。

子どもの給食費が払えない

それから父のお金の回収の仕方が頻繁になっていき、ひどい時には子供達の給食代も払えないようなこともありました。学校では、子供達が職員室に呼び出され、嫌な思いをしたこともありました。

母親として何とかしてあげたいと実家からお金を借り学校に払うことも度々ありました。

自宅では義理の母も父のいいなりだっため、なぜこんなに義父がお金を必要としていたのか謎のままでした。

理由が発覚

義父の親戚がお金の回収に来られた時に、やっと事の真相が分かりました。

昔バブルの時に、繁盛していた商店街の流れに乗り、お店に大きな冷蔵庫を入れ、お店を大きくしました。その時に、親戚中から借金をして、今まで返さずにいたものでした。

また金融会社からの借金や税金の滞納もかなりありました。

父は私達に何も言わず、親戚から借金を重ねながら、生活していたのです。同じ家に住んでいるのに、私達は何も知りませんでした。

義の見栄のため

父は私達が働いたお金を、羽振りよく使い町内会の集まりでも差し入れを派手にしていたようです。町内会の集まりがあった次の日に、いつも知り合いから「ごちそうさま」と声をかけられ、また昨日も差し入れしたのかと思うような日々でした。

それでも生活していけるのであれば、何とか借金の返済に回していけるのならと考えたのですが、子供の学資保険、生命保険の解約を父に黙って手続きされた時、私の我慢の限界を超えました。

私達の子供達の未来はどうなってしまうのか?子供達には、高校・大学で勉強させてやりたい、という私の夢は、消えたように思えてしまいました。

夫は家族だから、これからなんとかなるかもという言い方でしたが、自営業の方からの利益は年々減り商店街も衰退していました。

 

別居生活

親戚の借金の取り立ては毎日のようになり、私は子供達を実家に連れていくようになりました。別居をはじめるとこのまま実家に暮らした方が幸せになれるのかもしれないと毎日考えていました。

そんな時に夫の両親が、「孫を取られた」と近所に言ってまわり、近所中の噂になったことがありました。この時、私は離婚の決心をしたのです。私と夫が他人になれば、子どもたちの生活が守られるのではないかと考えたのです。

夫は、「離婚しないで欲しい」とは言いませんでした。私は子供3人の親権を取得して自分で育てるつもりでしたが、一番上の子供は義理の両親に後継ぎだということを洗脳されていたためそのまま残ることを自分で決めてしまいました。

本当であれば3人全員の親権を取得すること理想でしたが、ひとりは諦めるしかありませんでした。

離婚交渉

養育費については、私が一人多いため一人分の養育費を払ってもらうことになりました。

本当であれば公正証書にしたかったのですが、相手の両親が介入してくると面倒なので、離婚協議書に残すことで妥協しました。

元々は夫が直接的な離婚原因ではなかったこともあり、慰謝料はお互いに無しで、財産分与についてはすでに貯金や保険などもなかったので、何もない形で決着しました。

後悔は親権について

その後、夫の実家に残してきた子どもはとても苦労したようです。あの時無理にでも親権を主張して、離婚調停や離婚裁判をしてでも親権を主張すればよかったと、とても後悔しています。

残ると自分で決断したとしても、所詮は子どもの考えです。しっかりと説得して私が引き取ることを認めさせるべきであったと後悔しています。私の離婚体験談から言えることは、親権問題は将来の子どもの生活までを想定して簡単に譲ってはならないということです。

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離婚体験談5

離婚の理由と原因 夫が大病を患い、介護生活に疲れてしまった。
子どもの有無 3人
アドバイス 結婚生活中に将来の離婚原因を取り除く方法はあります。

職場恋愛を経て、まもなく同棲が始まり子供の妊娠発覚とともに結婚をしました。

私の仕事も順調で昇格、昇給と順風満帆な生活が始まりました。

しかし転機は突然訪れたのです。

順風満帆な結婚生活

2人目の子供が出来てアパート生活から中古マンションを購入し幸せな生活を送っていました。尚も仕事が順調に進み小さい会社ですが役員にまで昇格しました。

3人目の子供が出来たところで、マンションでも手狭になり一戸建てが欲しくなり新築一戸建てを購入しました。

妻と私の関係も非常によく、子供が3人居るにも関わらず、子供より私に関心があると感じられるほど、愛情を感じられる結婚生活が続いていました。

 

大病にて入院生活

しかしこの絵に書いたような幸せな生活が、いきなり暗礁に乗り上げてしまったのです。それは、私が仕事が多忙だったせいもあったのか、大病を患ってしまったのです。

国の難病指定の病気を始め次々と病気が発症していきます。入院中に大腸に穴があく腸穿孔を患いました。

私は緊急手術をして一命は取り留めましたが、人工肛門(ストーマ)になってしまいました。

そして合併症でカリニ肺炎、MRSA感染、筋膜炎と次々にかかり私は、人工呼吸器をつけて1年4カ月意識も殆どなく寝たきりの状態が続きました。

妻は、家から車で1時間弱の距離の病院へ私の看病で泊まり込みできてくれて、小さな子供を抱えて私の看病を毎日してくれていました。

しかしそんな献身的な介護にも関わらず、人工呼吸器も一生外せないと言われ、喉の切開も行いました。

そして長い長いリハビリの末、何とか車椅子生活が出来るところまできて寝台車で退院することが出来ました。

悲劇のはじまり

そしてここから悲劇が始まっていくのです。私は自分の事が自身で殆ど出来ず、家でも病院と同じ医療ベットでほぼ寝たきりの生活で、訪問ドクター、看護師が居ないと生活が出来なくなっていました。

勿論、妻がメインで私の介護生活が始まったのです。食事だけでなく、私のストーマ装具交換(排便)からシャワー浴、喉に入っているカニューレの痰の吸引、交換と様々です。

この辺りから妻の態度が変わっていきました。いわいる介護疲れだったと思います。小さい子供のお世話をして私の介護でへとへとだったと思います。

ある日を栄に、私に対して臭い、汚い、もうこれ以上出来ないと投げやり、且つ暴力的な言葉を発するようになっていきました。

順調に行っていた仕事もこのような体になり退職(クビ)を宣告されました。私には収入が障害年金だけになってしまいました。

子供3人抱えて家のローンもあるのに、障害年金だけで生活できるわけもなく、妻はパートに出るようになりました。

妻が生活を支えるために

家族の生活を支えるために、妻は子育て、介護をこなす上に、仕事までしなくてならなくなってしまいました。相当な疲労・ストレスが溜まっていることは容易に想像できました。

しかし、妻は仕事に慣れてくると、夜も頻繁に遊びに行くようになりました。時には朝帰りなんてこともしばしばありました。

しばらくは息抜きも必要だと咎めることは一切しませんでしたが、あまりにも頻繁に家を空けることが増えていったため、子供が居るのだからと注意をすると、あなたなんかに言われたくないと話を聞き入れてもらえない状態になってしまいました。

そして離婚へ

「もうあなたの介護は嫌だし、私の人生をめちゃくちゃにしないでと、私には私の人生、やりたいことがある」と離婚届を突き出されました。

子供のことがありましたから、私は離婚には絶対反対でしたが、妻はやり直すことはもう考えられないし出て行くと言って、子供3人を置いて出て行ってしまいました。

私はまだ自分のことも自分でできない状態でしたので、これには参りましたが、妻を責めることはできないと思い離婚届に印を押しました。

少し冷静さを取り戻した頃、妻との話し合いで親権は妻が取得して、養育費は私の体が回復してから支払うということで決着しました。

また財産分与については、預金・現金については半分、住宅ローンが残った家は私がそのまま住むことになりましたが、支払いは私が続けることで決定しました。

またこういった経緯のため、慰謝料についてはお互いに請求しないことで決着しました。

離婚を回避するには?

私のように大病を患い、相手の看護を必要とする生活になってしまった場合、離婚が結論になってしまうのは仕方ないことなのかもしれません。

たらればの話になってしまいますが、離婚を回避するには十分な資金があることが最低条件かもしれません。

そのためには生命保険など働かなくなった時に適用される保険に入っていればよかったと思うことがありました。

特に子どもがいる場合、可能であれば離婚は回避したいので、健常なうちにしっかりとライフプランを立て、こういった不測の事態に備えることも結婚生活を継続させる上で、重要であると、こうなってはじめて気付いたわけです。

私の離婚体験を通して、結婚生活中に将来へのリスクヘッジは可能な限り行うことで、将来の離婚原因を排除できることがあるということを知って頂ければ幸いです。

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離婚体験談4

離婚の理由と原因 夫の子育てへの意識の欠如。
子どもの有無 2人
アドバイス 優先順位を決め手、離婚協議に臨むことが大切です。

結婚生活破たんの瞬間

私が離婚を決意したのは、結婚10年目という節目でした。離婚の原因は、主人の育児放棄的な生活態度でした。

夫は自分の起こした事故により、子供を障害児にしてしまいました。そして夫はこの責任義務を果たすどころか、子どものことは全部を私に押し付けたのです。

いい加減、私も精神的にも肉体的にも限界がきたため離婚を決意しました。

とにかく子供を優先

離婚を決意した当時、一番上の子が中学受験が控えていたり、真ん中の子が小学校2年ということもあり、まずは子供たちの学区内で賃貸物件を何件かチェックをして、家賃の相場をある程度把握することにしました。

私の場合は離婚が決まっても、実家へ戻るという選択肢はなかったので、まずは住む家がなければ引っ越しもままなりませんでした。そのため、離婚後の家を探すことがはじめたのです。

そして次に行ったのが、養育費の相場の確認です。

調べた結果、1人あたり3~5万円の範囲でした。あわせて子どもが独立するまでにどれくらいの費用がかかるかもあわせて計算しました。

また市町村からの補助や手当、どうしても金銭的に困ったらどうしたらいいかなどを調査しました。

そして離婚後に生活していくにはどれくらいの費用が必要なのかをある程度把握することができました。

まずはとにかく話し合い

主人に離婚の話を切り出しました。きちんと理由も事細かに話しました。最初のうちは、全く話に応じてくれず、話し合いになんてなりませんでしたが、調停などにはしたくなかったので、とにかく時間さえあれば、離婚の話をしました。

そして離婚を切り出して数週間後、やっと話し合いに応じてくれました。

そして一番最初に決めたのは、親権問題。

最初は主人が子供たちを引き取ると言い出したので、仕事が交替制で育児なんて無理だという事、また今までも自分を優先してきた主人の生活態度を話しました。

また裁判になっても母親が精神的疾患や寝たきりなどの病気、また不貞行為でもないかぎり、親権は母親にくると話して、結果的に私が引き取ることで同意させました。

次に決めたのは慰謝料・養育費についてです。

慰謝料はもらう気はありませんでした。ただし、それは協議離婚にしてくれるならという条件付きで提示しました。これにはあっさり応じてくれました。

養育費は、まず相場を話してから、自分が1か月の給料で払える範囲でいいといいました。そして1人当たり4万円と決まりました。

ラストは、持ち家だったのでこれをどうするかという話になりましたが、家財道具はほしいものは、話し合いでどちらが持っていくかと決めて、家は主人に譲りました。

そして協議離婚が成立すると、実家に離婚の話をして、アパートを借りるときの連帯保証人になってもらえるように頼みました。

不安を解消したものは

離婚への不安をもっとも解消してくれたのは、「情報」だったと思います。

もちろん、周りの方々のサポートもあっての不安解消ですが、無知な状態での離婚だったら、養育費をもらうことも、地方自治体の補助や手当のことも知らなかったわけですから、後々困ってしまったと思います。

そう考えると、やはり自分なりの情報収集というのは、とても大切だと思います。

自分にとっての円滑な協議離婚をするには

協議離婚を円滑をすすめるためには、自分の中での優先順位をしっかりと決めて、情報収集をすることだと思います。

やみくもに話し合いを行うだけでは、親権問題もお互いの気持ちがぶつかって時間がかかるだけだし、養育費や慰謝料においても相場を知っておけば、金額も振り込み方法なども円滑に決められます。

離婚する前には、しっかりと情報収集をして、万全な下準備をすることが大切です。

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離婚体験談3

離婚の理由と原因 夫の単身赴任による生活のスレ違い。事業倒産による経済的事情。
子どもの有無 3人
後悔 養育費に関する取り決めを公正証書にしていなかったこと。

私は30歳後半に離婚をしました。それでは私の離婚体験談をご紹介します。

夫は自営業で、景気が良い時で儲かっていました。私は結婚してからしばらくは、子育てに追われていました。

そして数年がたち、事業拡大のため、単身赴任で主人だけ違う土地で商売をすることになりました。

当時、子供3人は学校にかよっていましたので、転校はしたくないため、一緒にはついていかずに私と子供3人は、残ることになったのでした。

これをきっかけに徐々に私たち夫婦の距離感が・・・

すれ違いの生活。

単身赴任している夫は、しばらくは週に1度は、帰宅して子供との時間も大切にしてくれましたが、数年経つとだんだんと家に帰らなくなりました。

事業が忙しくい・大変などの理由で帰れないといっていましたが、そんなときだからこそ家族に相談するために家に帰ってくるべきではないかと口論になることもありました。

話すと喧嘩になるため、更に疎遠になり、学校の行事などにはもちろん主人は不在で、私1人で子育ても仕事もこなす毎日になり、夫との会話がなくなり頼らなくなっていってしまったのです。

これが決定的な離婚の原因となりました。

親権をめぐって話し合い

まだ子供達が小さいため、親権はもちろん母親の私が取得することで、もめることはありませんでした。

しかし元主人からの依頼で「夫の本籍から子供たちの籍を外さないでほしい」と言われたため、「子供たちの住民票・親権は私」、「本籍は元主人の籍」という形で行うことになりました。

夫曰く、「商売上、子供の籍があると信用してもらえる」と言われましたが、子供たちが20才になる頃には外しました。

公正証書と養育費

親権、養育費についてはお互い口約束のみになりました。

養育費は、当時は事業も順調だったこともあり、毎月10万以上は当たり前のように振り込みしてくれましたが、事業に失敗してからは 振り込みゼロ円や、月3万円のことあり、後々かなり揉めることになりました。

公正証書をしっかりと作成しておいて、養育費についてはしっかりと支払う約束をしておくべきだったと後悔しています。

そして1番もめたのが、子供の学費の件でした。学資資金を貯めていなかった為、大学は奨学金を借りましたが、奨学金の他に、大学が地方だった為、仕送りが月に10万円は必要なりました。

子供が大学を卒業するまでの学費だけでも、公正証書できちんと額を決めて支払いをしてもらうべきだったと思います。

市役所の無料母子相談窓口を利用

ない袖は振れないといっても、子供が進学を希望するのであれば、絶対に応えてあげなくてはならないと私の信念があったため、どうすれば学費を捻出することができるのかいろいろと調査しました。

そして市役所の無料母子相談窓口で大学の学費等に関する相談を行っていることがわかりました。そして無利子で学費の貸付ができる母子貸付制度を利用するため、市役所で無料弁護士相談を活用しながら学資を工面しました。

離婚手続きは、やることがたくさんあります

離婚の手続きや、学費の工面は、無料弁護士相談など、できることは全て自分でやりました。これらすべてをこなすには市役所で半日以上はかかりました。

また市役所以外でも、車の名義を私に変えたり、世帯主が私になるので、賃貸マンションなど名義変更に時間がかかりました。

しかしすべてを自分で調べあげたおかげで、いろいろな情報を知ることができ、しっかりと書類などの管理もでき、以前よりしっかりした自分になりました。

1人の人間として自立できた

夫の単身赴任の流れから、離婚に至ったため、いきなりではなく徐々に、自立意識が持てたことはとても良かったです。

またすれ違い生活で、たまに話すと喧嘩がたえなかったのですが、もう喧嘩をしなくても自分のペースで物事を組み立てられるというのは、心がとても楽になりました。

老後に住む場所

こどもが大きくなり、学費がかからなくなったため、経済的な不安は幾分かは軽くなりました。

しかし現在の住まいが賃貸マンションなので、この先住まいに対する不安はあります。私の年齢の問題もあり、マンションや一軒家を購入できるかという不安はあります。

子供に負担をかけたくないため、住居については自分でなんとかしたいと健闘中です。

自分の人生は自分で責任を持つ

結婚は他人との生活だといいますが、価値観が違う相手と喧嘩ばかりしているより、自分の人生のために幸せに暮らしたいと、誰でも思うものです。

子供にとっても、お母さんは元気で幸せでいてほしいです。

今の時代、シングルマザーが多いので、同じ境遇のお友達に相談したり、市役所の母子相談など昔に比べて相談できる場も増えたと思います。

ひとりで悩む必要はまったくないのです。相談先をしっかりと確保して、悩みを共有することで、心の負担をできる限る軽くしましょう。そうするこで、次への行動のための活力ができるのです。

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離婚体験談2

離婚の理由と原因 生活のスレ違い。経済的不安。
子どもの有無 あり。1人
後悔 母子家庭になった経済的な不安。離婚前の下準備不足。

離婚をした時の私の年齢は24歳でした。

そのときの家族構成は夫25歳、子供が3歳でした。

夫は職を転々とするパチンコ屋店員で、私は専業主婦でした。当時の年収は300万円程でした。

すれ違いの生活と経済的不安

パチンコ屋でアルバイトをしていた夫の勤務時間は、ほとんどが昼から夜にかけての時間帯でした。その為、夜中に帰宅し昼前まで睡眠という生活パターンでした。

夜泣きをする小さい子供がいた為、夫婦の寝室は別にしていました。生活パターンが異なり、寝るのも別室のため、同じ家で生活をしていてもほとんど顔を合わすことがなくなってしまいました。

日常の会話自体が減ってしまい、次第に話題もなくなり、話すことといえば、夫の仕事のことばかりになってしまったのです。

私は将来への不安もあり、正社員の仕事をすすめていましが、「就職ができてもすぐにやめてしまい、またパチンコ屋のアルバイトへ戻る。」の繰り返し。仕事を辞める時も「やめてきた!」と一言。

経済的不安もあり子供が小さいうちになんとかしなくてはならないと決断し、離婚を決意しました。

離婚を拒否する夫

私から離婚を切り出し、親を含めて離婚の話し合いをしました。最初は離婚をしたくないと夫は離婚を拒否していました。

しかし「このままでは生活ができない。子供がかわいそうだ」と私の考え・思いを、なんとか夫に伝えることできたため、離婚に向けて話し合いを進めることになりまし。

そして最終的には、夫が折れた形ですが、裁判をせずに協議離婚ができることができました。

公正証書の作成

夫と話し合いで、夫は養育費を払う約束をしてくれ、さらに親権についても私が取得することで納得してくれました。

しかし口約束は怖いので、公正証書の作成をしました。夫は公正証書について詳しくなく、私の希望通りの内容で作ることができました。

そして夫の両親も「息子のせいで離婚になって申し訳ない」という事で保証人になってくださり無事公正証書を作成するができました。

状況的に相手の両親に頼みづらいこともありますが、「連帯保証人」になってもらう交渉は必ずしておいたほうがいいです。

仮に夫が払わない状況になっても、「孫の養育費」ためということで、相手のご両親には必ず「連帯保証人」になってもらいましょう。

子供の為にできる事

家にいても夫は疲れているからと、子供を怒ってばかりでした。家でも「パパが寝てるから静かにね」と我慢させてばかりでした。父親と遊んだ記憶がないまま成長することに対して、とても嫌悪感をもっていました。

父親の代わりはできないけれども、このままだとかわいそうだと思い、離婚後は一緒にいっぱい遊ばせてあげたいと思っていました。

離婚は経験者に相談

離婚の手続きについては、私には離婚した経験のある親戚がいたため、親身になって相談に乗ってくる人がいました。また、その方から市役所の窓口で母子家庭になるともらえる母子手当などについても教えてもらいました。

実際に市役所に出向くと、相談窓口があり、手続きなどでわからないことはしっかりと説明してくれたた、滞り無く離婚に関する手続きを行うことができました。

またインターネットでみた、離婚経験者のブログなどもいろいろと参考になる情報がありました。

子供のための養育費

公正証書の内容については、弁護士にアドバイスをもらいつつ、自分が要望する内容を盛り込んで、作成して頂きました。数万円の公正証書作成費用は、離婚で引っ越しなどお金がかかる時だったため、とてもしんどかったです。

それでも子供の養育費をしっかりと確保するためには、安いものだと思い母にお金を借りてでも作成したのでした。

将来の不安が解消される

離婚をして母子家庭になり経済的な不安は一時期ありました。しかし子供の為だと思うとなんでもできました。両親の力も借りながら一生懸命働き生活しました。

子供が小さかったこともあり、教育費などにお金がかかることが少なく、貯金も少しずつ出来てきたため、将来の不安が少しずつ解消されました。

また幸いなことに、子供が小さかったことと、子供のお友達は、パパが忙しくあまり会えない家庭の子ばかりだったので、パパがいなくても気になることがありませんでした。

離婚前には下準備を

私は離婚経験者として、友達に離婚の相談をされたりします。その時に必ずすすめることは、「公正証書」を作ることです。

私の夫の様に、無関心でこちらの思い通りに公正証書を作れることは珍しいと思います。普通であれば、養育費の金額、ひとつをとってももめると思います。それでもしっかりと話し合い「公正証書」を作ることが大切です。

どんなに口で約束をしていても、支払われなくなってしまうと請求することができません。私は、夫に離婚前「必ず払う」と言われましたが、信じられず公正証書を作成しました。

実際、すぐに夫は滞納することになり、保証人になってくれた夫の親が肩代わりして支払いをしたのです。

さらには夫の居場所も分からなくなりましたが、居場所を調べて公正証書のおかげで給料を差し押さえることができました。もし公正証書がなければ、養育費をもらえることはなかったでしょう。

私からのアドバイス。「離婚前には下準備をして、幸せに向けての一歩を歩んでください。」私の離婚体験談が、あなたに少しでも役に立つことがあれば嬉しいです。

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離婚体験談1

離婚の理由と原因 夫のモラハラ。
子どもの有無 なし
後悔 結婚自体を後悔。慰謝料の請求ができないなった。

私が結婚したのは30代前半です。

同年代の夫との3年間の結婚生活に終止符を打ち、離婚したのは30代半ばでした。

夫はサラリーマン、私も事務の仕事で共働きでした。夫婦の財布は別々だったため、夫の年収は把握していません。また子どもいませんでした。

『早すぎた結婚と夫の支配』

夫と出会ったのはスポーツジムでした。知り合って半年、そして交際からわずか1週間、夫からの度重なる求婚により結婚が決まり、1ヶ月後には入籍しました。

お互いの事をあまり知らないまま結婚してしまったので、結婚当初から不安はありました。

夫はとにかく話し合いのできない人で、結婚自体もそうでしたが、すべて自分の決めたことに妻が従っていれば良いという考え方で、私は次第に息苦しさを感じるようになりました。

『私の思いやりへの仕打ち』

平日は仕事の後に家事をこなし、町内会の役員も務め、休日はすべて共通の趣味であるスポーツに明け暮れる生活が続き、次第に私は疲れていきました。

休日は長距離運転する夫の助けになればと、結婚後に車の免許を取ったのですが、運転するたびに夫に罵倒されるようになりました。

更に、夫はまったく子供を作る気が無いことが分かり、このまま夫と二人で死ぬまで一緒に生活するかと思うと空恐ろしくなりました。

そして幾度かの口論の後、家庭内別居がしばらく続いたある日、私の部屋の前に離婚届と離婚協議書が置かれていたのです。

『夫の作った離婚協議書』

協議書に書かれていたのは、「妻の財産は妻の婚前からの持ち物だけ、それ以外のものはすべて夫の財産」というものでした。

明らかにその内容がおかしいと感じた私はネットで財産分与について調べました。その結果、「共働きの場合は夫婦の共有財産を半々に分ける」ものだと分かったので、夫にその内容を提示したところ、夫は突如激昂し、「お前が貰えるものなんて何も無い」などと言い始めました。

『罵詈雑言』

話にならないので、私は弁護士に相談すると伝えました。すると夫は、「これまで住まわせて貰って感謝の言葉もないのか」「人間の屑だな」などの暴言を吐きました。恐怖を感じた私はそれ以上夫と話をすることに耐えられず、弁護士に依頼することを決意しました。

それから別居するまでの一ヶ月、夫とは顔も合わさないように息を潜めて生活しました。キッチンを使うと「誰がガス代を払うと思ってるんだ」などと言ってくるので、キッチンにも行けず、自分の部屋でカップラーメンをすする生活が続き、夜もよく眠れず、食欲も落ちて体重は5・6キロ減りました。

『そして調停へ』

知り合いに弁護士を紹介してもらい、協議書の内容を見て貰ったところ、「こいつはふざけているから徹底的にやりましょう」という事で、当初は財産分与と慰謝料を請求する予定でした。

しかし、私としては最低限のお金だけ貰って一刻も早く別れたかった為、1回の調停で財産分与だけして貰い、慰謝料は無しで決着を付けました。離婚届が部屋の前に置かれてから1ヶ月で別居、それから2ヶ月で調停離婚が成立したので、スムーズに行ったと思います。

『ひとりになって思う事』

今は一人で自由に暮らしていますが、やはり経済的には不安を抱えています。正直、慰謝料も貰っておけば良かったと思います。離婚の前後はうつ病になり、働くこともままならない状況でした。

離婚する時は1秒も一緒に居たくない、早く籍を抜きたいと思うのですが、やはり後から重要になってくるのはお金です。貰えるものはできる限り貰っておいた方が良いと思います。

そして離婚は本当にエネルギーを消耗します。私の場合は調停離婚だったので余計に苦労したとは思いますが、一度入れた籍を抜くという事は、それなりの覚悟が必要になります。

ですので、知り合いの子持ちの主婦に離婚の相談をされた時には、「軽い気持ち離婚を考えているなら、激しく疲労するので止めた方が良い」と言っています。

ただ、自分が離婚した事自体はまったく後悔していません。金銭的には厳しい生活ですが、何よりも自由が手に入りました。

今はストレスの無い生活を送っています。一度しかない人生の中で、何が自分にとって重要なのか、どんな暮らしをしたいのか、よくよく考えて結論を出すと良いと思います。

私の離婚体験談が役に立てば幸いです。

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